柳都物語 第64回・天津の講義(1)
【柳都物語 第64回・天津の講義(1)】
「しつもーん」
斉藤が手を上げた。
「『古町通り(ふるまちどおり)』に面した細長い店が二等分されて、その間に新しい『通り』ができたってのはよく分かりました。
それじゃ、『本町通り(ほんちょうどおり)』に面した店は、二等分されなかったんでしょうか?
なぜかというと、地図を見ると、『本町通り』と『東堀通り(ひがしぼりどおり)』の間にも、『本町通り』と『上大川前通り(かみおおかわまえどおり)』の間にも『通り』は無いからです。
そのわけを教えてください」
斉藤らしい、ちょっと小意地の悪い質問だった。
さすがに麻美子もそこまでは調べてなかったようで、くびを傾げたまま困った顔で天津を見た。
天津は、教室を見回しながら言った。
「誰か、今の斉藤の質問に答えられるやつはいるか?」
クラス中、顔を見合わせるばかりで、ひとりの手も上がらなかった。
あたりまえだよな。
『本町通り』と『東堀通り』の間に、何で『通り』が無いかなんて、一度も考えたことないもんな。
「それじゃ、長沢先生に代わっておれが答えよう。
みんなも知ってのとおり、おれの生まれは寺町の寺だ。
長沢のレポートにもあったが、寺町の寺は江戸時代のはじめごろ、砂丘の上から、今の場所『西堀通り(にしぼりどおり)』に移ってきたわけだ。
今から350年も前のことだ。
で、おれの家にも古い書き付けなんかが残っててな。
おれのじいさんの弟という人が、そういうのを読んだり調べたりするのが好きな人なんだ。
これがまた、ひとりで読んだり調べたりしてるだけならいいんだが、人に講釈したがるのが悪いクセだ。
まあそれで周りに煙ったがられたみたいで、講釈したくても相手がいなくなっちまった。
そこで新しい標的にされたのが、幼少の頃のおれというわけだ。
まだ鼻を垂らしてるような歳だったおれを、おそらく飴玉かなんかで釣ったんだろう。
今にして思えば、鼻垂れ小僧が聞き役じゃ張り合いが無かったろうなと、ちょっと気の毒な気もするがな。
そうやって、その講釈を何べんも聞かされてるうち、何の興味も無かった町の歴史が、自然と頭に入っちまった。
いわゆる『門前の小僧習わぬ経を読む』ってやつだ。
少し前置きが長くなったが、そんなわけで今の斉藤の質問にも答えられるってわけだ。
さて、お立会い。
なぜ『古町通り』の裏には通りができたのに、『本町通り』の裏にはできなかったのか?
実は、この答えの大きなヒントが、さっきの長沢のレポートの中に書かれてあったんだぞ。
長沢、ちょっとそのノート貸してみろ。
確か、最初のほうだったな………。
あったあった。
長沢、こっからここまで、もう一度読んでみてくれ」
「ちなみに、『古町通り』は、もっと昔には『本町通り(ほんまちどおり)』と呼ばれていて、『本町通り』は『新町通り(しんまちどおり)』と呼ばれていました。
でも、後からできた『新町通り』の方が、信濃川に近かったので発展して、そっちが『本町通り』になって、元の『本町通り』が『古町通り』という名前に変わったそうです」
「今読んでもらった文章は、新潟の町が今の場所に移ってくる前、今の住所でいうと『旭町通(あさひまちどおり)』あたりの高台にあったころの記述だよな。
つまり、そのころすでに、『本町通り』の方が、『古町通り』より栄えてたってことだ。
栄えてたってことは、『本町通り』の方に大きい店が多かったってことだろ。
そして、新しい新潟の町に、そのままの町割りで移ったわけだ。
そこでも、『本町通り』の方が信濃川に近いから、『本町通り』の店はますます繁盛する。
『古町通り』の方は、文字通り『古い町の通り』で、『本町通り』とは差が開くばっかりだ。
ところが、『本町通り』の店も『古町通り』の店も、割りふられた敷地はだいたい同じ面積だったわけだ。
長沢、もう一回ノート。
こっからここまで読んでみてくれ」
【次回投稿は12月22日の予定です】
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