柳都物語 第46回・理絵の黒髪
【柳都物語 第46回・理絵の黒髪】
「ほんとに大丈夫?」
奈美が、理絵の顔をのぞきこみながら聞いた。
理絵は小さくうなずくだけだった。
「なんなら、さっきの消防署から救急車呼んで来ようか? 車庫ん中、入ってたぜ」
マメオヤジが、理絵のランドセルを抱えたまま、今にも走り出しそうなかっこをして言った。
「そうよね。ほんとに具合悪いんなら、その方が………」
「だいじょうぶ………」
それっきり理絵は、目をつぶって黙っちまった。
奈美が膝の手を握ると、理絵は目をつぶったまま奈美の肩にもたれかかった。
おれは、なんかちょっとドギマギして2人から目をそらした。
2人が座ってる噴水は、道路に面した方だけ、縁の部分が衝立みたいに立ちあがってて、その内側に鏡が入ってる。
なんでこんなデザインになってんのかは謎だけど、だからその鏡には、奈美と理絵の背中が映ってた。
奈美はランドセルを背負ってるけど、理絵のはマメオヤジが持ってるから、コートの背中に黒い髪が伸びてる。
腰のあたりまである長い髪………。
え?
………。
うわっ。
理絵の髪は、確か肩のあたりまでだった。
恐る恐る本物のほうを見ると、うなだれた首筋にかかる髪は、やっぱり肩までしかなかった。
鏡に目を戻す。
ベージュのコートに、真っ黒い長い髪が垂れてる。
黒髪の先はコートからこぼれて、噴水の縁までかかってた。
それはまるで、背中を真っ黒い川が流れてるように見えた。
おれの耳から、噴水の水音が消えた。
どういうことだよ?
何でこんなのが見えるんだ!
おれの目は、鏡に吸いつけられたみたいだった。
理絵の背中を流れる髪から、目をそらせない。
だんだんと濃くなる夕闇の中で、真っ黒い髪は夜の川みたいだった。
やっぱり、こいつ、あんときの巫女?
夕暮れの早川堀で会った巫女?
暗い水面を見つめてた巫女の、あんときの黒髪がまざまざと目によみがえった。
腰まで届く真っ黒い髪だった。
真っ黒い髪が、白い着物の背中を川のように流れてた。
「尚樹。ちょっと、尚樹ってば!」
「え?」
「え、じゃないわよ。あんた、さっきっから、どうしちゃったのよ? ヘンな顔して黙っちゃって」
「べ、別に」
「別にじゃないでしょ。だいたい、あんたがいけないんだからね。理絵ちゃん、教会まで走らせたりしたから」
おれは、よっぽど鏡を指差そうかと思った。
でも、そんなことしたら、何もかも終わっちまうような気がして………。
たぶんおれは、この4人でいろんなことをすんのが、結構気に入ってたんだと思う。
それを今、終わらせたくなかった。
たぶん………。
「タクシー!」
後ろでマメオヤジの声がした。
声のほうを見ると、マメオヤジが道路に出てタクシーを止めてた。
「おーい、理絵! こいつに乗って帰れよ!」
その声に奈美も振り返った。
「そっか、その手があったか。マメ、じゃなくて、山崎! あんた、上出来じゃないの! 理絵ちゃん、立てる? 山崎がタクシー止めてくれたから。おうちに誰かいる? あたしも一緒に乗ってこうか?」
「ううん。だいじょうぶ、ひとりで」
理絵は、奈美に支えられて立ちあがった。
肩までの髪が揺れて、頬を隠した。
顔は白いけど、その姿は普段通りの理絵だった。
「尚樹、ちょっとそこどいてよ。何ボーッと突っ立ってんの。ほんとに、いざってとき役に立たないんだから、あんたは」
おれの足は、地面に貼りついたみたいに動かなかった。
奈美に支えられた理絵が、タクシーに乗りこむのを呆然と見てるだけだった。
「二葉町までお願いします。理絵ちゃん、何丁目だっけ? 一丁目? 運転手さん、二葉町一丁目まで。じゃ、本当に大丈夫ね?」
「あ、待ってくれよ。ほら、理絵のランドセル」
「あんた、いつまで持ってんのよ。早く渡して」
ドアが閉まった。
すっかり暮れきった夕闇の中を、タクシーの赤いテールランプが、長い尾を引いて遠ざかってく。
なんだか、理絵が本当に遠くへ行ってしまうような気がして、おれは、テールランプが見えなくなるまで、ただそこに立ちつくしてた。
【次回投稿は10月14日の予定です】→柳都物語「第47回・理絵のいた夢(1)」
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