柳都物語 第39回について
西消防署の正式名称は、「新潟市西消防署」と言います(新潟市西消防署ホームページ)。
近い将来、NEXT21の手前に高層ビルが建って、この景色が変わってしまうことについては、緑亥館通信の「柳都物語・第38回について」でお知らせしました。
本編2枚目の写真(カトリック教会と西消防署)も、1枚目と同じ日にどっべり坂から撮ったものです。
画像の左端、下の方に、新潟カトリック教会の2本の尖塔が見えます。
この写真だけ見ると、ずいぶん小さな教会みたいでしょう?
でも実際に行ってみると、そんなに小さくはないのです。
尖塔の高さは22.7メートルだそうですから、6階建てのビルくらいはあります。
写真で教会が小さく見えるのは、まわりの土地が低くなっているせいなのです。
今教会が建っているところは、もともとは砂丘の一部でした。
明治になると、新潟に新政府の軍隊が派遣されることになり、その兵舎や練兵場が造られました。今の寄居中学のあたりです。このあたりの地名は、今でも「営所通」となっていますが、「営所」とは兵営所のことなのです。
その兵営所建設の地ならしのために、すぐそばの砂丘の砂が使われました。つまり、砂丘を崩して砂を取ったわけです。崩すどころか、えぐれるほど掘ったみたいです。
その砂取り場の跡地に、新潟カトリック教会は建ちました。当時は宗教的な偏見なんかもあって、まともな土地は手に入れられなかったようです。それでようやく、街はずれの砂取り場の窪地だった今の場所に落ち着いたということらしいです。明治18年のことでした。
前回の緑亥館通信「柳都物語・第38回について」の中で、どっぺり坂下にある「ドッペリ坂と異人池」という案内板の文章をご紹介しました。その文章の一部を再録します。
『当時この坂の下には高台の砂丘から湧き出す地下水によってできた大小二つの池があり、「異人池」と呼ばれていました。カトリック教会と池のまわりのポプラ並木を水面に映したエキゾチックな風景は、画材ともなり、また魚釣り場として多くの市民から親しまれていました。』
えぐれるほど掘った砂取り場の跡地だったため、まわりの砂丘から水が集まって池になったというわけです。
それでは次回の「柳都物語」をお楽しみに。7月8日、掲載予定です。
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