柳都物語 第33回について
本編2枚目の写真(イタリア軒)も、同じく2月13日の撮影で、これは西堀通りからイタリア軒を撮ったものです。
本編中で、尚樹が父親からの受け売りとして披露したイタリア軒の歴史は、イタリア軒ホームページの右サイドバーにある「イタリア軒 創設秘話」に載っています。
実は、このイタリア小路にはもうひとつ見どころがあります。
それが左の「花嫁人形」の歌碑です。
本編に載せた写真には写っていませんが、小路を隔ててイタリア軒の向かい側にあります。この碑の後ろに見える洒落た門は、イタリア軒の別館「割烹 蛍」のものです。
「金襴緞子の 帯しめながら 花嫁御寮は なぜ泣くのだろ」で始まる有名な童謡の作詞者は、蕗谷虹児(ふきやこうじ)という挿絵画家です。
虹児は、明治31年(西暦1898年)、新潟市の東隣、新発田市(当時は新発田町)に生まれました。
その後新潟市に移った虹児は、このイタリア小路に程近い西堀で育ちます。
実は虹児は、大畑小学校の大先輩なのです。
大畑小学校の入学式にはたった一人で出席し、先生から「一人で来たのか。偉いな」と褒められたそうです。この逸話は、『新・にいがた歴史紀行1(新・新潟市)』からの受け売りですが、何で一人で出席したのかは書いてありません。ひょっとしたら、母親が病弱だったせいかも知れません。
12歳のとき、その病弱だった母親が亡くなります。やがて家族は離散し、虹児は丁稚奉公をしながら絵の勉強をしたそうです。
13歳で、同郷の日本画家・尾竹竹坡(おだけちくは)の内弟子となり上京。
21歳のとき、「少女画報」の挿絵でデビュー。そのモダンな画風は大評判となり、竹久夢二と並び称されるようになります。
昭和41年、「花嫁人形」の歌碑の除幕式が行われました。
69歳になった虹児も、小雨の降る中、龍子夫人といっしょに参列し、大畑小学校の児童40人が歌う「花嫁人形」に聴き入ったそうです。
式のあと、虹児は夫人に、「これでおれの葬式は終わった」と言ったとか………。
「花嫁人形」の歌詞には、27歳の若さで世を去った美しい母への憧憬が投影されていると云います。
虹児が生まれた新発田市には、「蕗谷虹児記念館」が建ち、200点以上の原画や絵筆、絵の具などの遺品が展示されています。
記念館は、少女雑誌の挿絵画家にふさわしくロシア正教会風の建物で、公共建築賞優秀賞を受賞しています。
最後にひとつ。
物産コーナーの右サイドバーに、書籍コーナーに続き、DVDコーナーを設けました。
「『少年ドラマシリーズ』の巻」と「『SFジュブナイル』の巻」の二本立てです。
是非お立ち寄りください。
それでは次回の「柳都物語」をお楽しみに。4月15日、掲載予定です。
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