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2006.04.01

柳都物語  第33回・いざ、曙公園

【柳都物語 第33回・いざ、曙公園】

 午後になってからも、ぼたん雪は止まなかった。
 習字紙を千切ったような雪が、窓の外を覆いつくしてる。
 じっと見てると、教室ごと空へ昇ってくみたいだった。
 6時間目。
 また地震があった。

 窓の雪をながめてたおれは、一瞬めまいがしたのかと思った。
 窓枠がカタカタと揺れてる。
 先週の地震よりは小さい。
 黒板に向かってた天津が、チョークを止めて天井を見てる。
 隣のマメオヤジが、おれを見てニヤッと笑った。
 後ろを振りむくと、奈美と理絵の目が真っ直ぐにおれを見た。

 放課後。
 おれたち4人は、終業の挨拶と同時に教室を飛びだした。
 児童玄関を出ると学校前の通りを右、北へ向かう。
「ちょっと、尚樹。なにも走んなくたっていいでしょ」
 奈美の声だ。
「ちんたら歩いてられっかよ」
「あんたが地図持ってんだから、ひとりで先行かないでよね。曙公園は逃げてかないんだから」
 ちぇっ。
 これだから女子と一緒に行動するのはやなんだよ。
ホテルイタリア軒 イタリア小路  学校前の通りから右、イタリア小路へ折れる。
 方角は東になる。
 イタリア小路って名前は、ちょっとインパクトあんだろ?
 まあ、地獄極楽小路(第3回『西大畑公園』参照)ほどじゃないけど。
 でも、その名前がついた理由は簡単なんだ。
 『イタリア軒』っていうホテル脇の小路だから。
 明治時代の初めころ、新潟で初めての西洋料理店が開業した。
 それが『イタリア軒』。
 もっとも最初のころは『イタリヤ軒』だったらしいけど。
 『イタリア軒』って名前になったのは、イタリア人が開いたからって、これまた簡単な理由だ。
 その西洋料理店が、結婚式も挙げられるホテルになり今に至るってわけ。
 なんでこんなに詳しいのかって?
 実は去年の暮れ、ボーナスの出た父親に連れられて、家族そろって『イタリア軒』のレストランで食事したんだ。
 そん時、父親が得々とウンチクを披露したってわけ。
 たぶん、事前にネタ仕入れてたんだぜ。
 で、その受け売りついでに言うと、『イタリア軒』を開いたイタリア人は、曲馬団の団員のひとりとして新潟に来てたんだって。
 曲馬団ってわかる?
  サーカスのことだぜ。
 で、そのイタリア人は、公演中にひどい怪我をしちまって、ひとり新潟に残されることになった。
 かわいそうだよなあ。
 それを助けたのが当時の新潟県令、楠本正隆だ。
 出資して、そのイタリア人に店を出させたんだ。
 はじめは牛鍋屋だったらしいけど、それが西洋料理店になり、やがてはホテルになったってわけだ。
 きのう、じいちゃんちで、明治時代の県令が今の県知事だって言って奈美を驚かしたけど、実はこんとき仕入れたネタなんだ。
 そのイタリア小路を抜けて西堀通りに出ると、こんどは左折。
 方角は北。
 ひとつ目の信号、広小路を右折。
 方角は、また東。
 古町通り、東堀通りを突っきって本町通りを左折。
 方角は、またまた北になるんだけど、わかる?
 「通り」は南北、「小路」は東西に走ってるんだ。
 ぼたん雪はさっきより小降りになったけど、まだ降りつづいてた。
 雪の中を並んで早足で歩いてると、なんだか先月テレビで見た忠臣蔵を思いだしちまった。
「このへんだよな」
 地図によると、もうひとつ小路を右に折れたら、曙公園の脇に出るはずだ。
 本町通りには、まだ市場の露店が少し残ってた。
 ここらは下(しも)の本町市場っていって、毎日露店が出る。
 信濃川にかかる萬代橋をわたって新潟島に入ると、柾谷小路っていう6車線の大通りが続いてるんだけど、その柾谷小路を境にして、信濃川の下流側を下(しも)、上流側を上(かみ)っていうんだ。
 下(しも)の本町市場っていうからには、当然、上(かみ)の本町市場ってのもあって、実は上の方が道幅も広くて露店の数もずっと多い。
 だから、上の方は、「上の」が省かれて、ただ「本町市場」って呼ばれてる。
 ちょうど店じまいをしてたおばちゃんに聞いて小路を入ると、すぐに曙公園はあった。

【次回投稿は4月15日の予定です】→柳都物語「第34回・曙公園

緑亥館通信「柳都物語・第33回について
物産コーナー「『第33回・いざ、曙公園』の巻

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