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2005.11.05

柳都物語  第22回について

 「柳都物語・第22回」『地震調査(2)』、いかがでしたでしょうか?

 今回本編に掲載した2枚の写真ですが、残念ながら、前回と同じく冬に撮ったものではありません。
 これらの写真は、今年の5月14日に撮影したものです。
 新潟島を俯瞰撮影できるポイントのひとつに、NEXT21の展望ラウンジがあります。

 こういう展望ポイントから、いろんな場所を撮影できるということに気づいたのが春になってからだったため、冬に撮った写真がないのです(緑亥館通信「柳都物語・第10回について」参照)。
 本編左側の写真は、このNEXT21から下手方向を撮ったものです。本編中でも書いたように、下手とは信濃川の下流方向です。方角は、ほぼ北になります。上方に見えるのは日本海です。
 この画像の左下から右上にかけて、大きな屋根が連なっているのがお分かりになるかと思います。これらがみんなお寺なのです。
 画像右端の茶色いビルはホテル・イタリア軒で、その右を西堀通りがお寺と平行して北へ走っています(画像には写っていませんが)。
 本編右側の写真は、NEXT21から上手方向を撮ったものです。
 画像の下から上にかけて、途中から右にカーブしながらお寺の屋根が連なっています。この屋根に、雪がうっすらと積もった写真を載せたかったものです。
 話は変わりますが、この寺町のお寺のおかげで、「新潟島堀割地図」(サイドバー右側の『「柳都物語」資料館』内)が作れたと言っても過言ではないのです。
 「新潟島堀割地図」を作ろうと思っていたとき、『みなとぴあ(新潟市歴史博物館)』の売店で、「新潟市商業家明細全図」という大判の古い地図が手に入りました。もちろん複製品です。
 これは明治29年12月発行の地図で、その名のとおり、当時の新潟島の商店などがびっしりと描き込まれています。もちろん道路や堀も描かれていて、堀に架かる橋までことごとく載っているのです。
 これでもう「新潟島堀割地図」は出来たも同然と喜んだのですが、ところがこの地図、1枚の紙にまとめるためでしょうが、相当にデフォルメされていたのです。そのため、描かれている堀が、現在のどの道路にあたるのか判然としませんでした。地図に載っている商店などは、ほとんど現存していなかったからです。
 このとき役だったのが、寺町のお寺だったのです。お寺だけは現在と全く変わっていません。そのおかげで、堀の位置を類推することができたというわけです。

 さて、また話は変わって、前回の「緑亥館通信」で書きました母校の文化祭の件です。
 「緑亥館通信」を掲載した翌日の10月23日、もしやと思って母校の小学校に行ってみたところ、これがビンゴでした。
 卒業以来33年ぶりで、母校に足を踏み入れることができました。校舎は私が在校した時と変わっていないので、そこここに記憶が残っていました。写真もたくさん撮ってきましたので、ひょっとしたら「柳都物語」で使わせてもらうかも知れません。
 翌週の10月30日は、母校の中学校の文化祭でした。ここへは去年、散歩の途中で偶然文化祭に行きあわせたのですが、おそらく今年も10月の最終日曜だろうと思って行ったところ、こちらもビンゴでした。
 ただ、どちらの日も雨模様の天気で、うす暗い写真しか撮れなかったのが残念です。

 それでは次回の「柳都物語」をお楽しみに。11月12日、掲載予定です。

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