柳都物語 第18回について
「柳都物語・第18回」『堀のあったころ』、いかがでしたでしょうか?
今回はウンチク話になってしまいまして、新潟市に住んでいない方には退屈だったかと思います。
本編1枚目の画像「新堀四ツ橋の盆踊り」ですが、これは本編の注釈にも入れましたとおり、銅谷白洋という画家が描いたものです。『「情緒新潟」銅谷白洋・画』というホームページに、銅谷白洋の絵が掲載されています。
このホームページによりますと、昭和41年に74歳で没となっていますから、明治25年前後の生まれということになります。新潟市の四ツ屋町に住んでおられたようです。四ツ屋町というのは、「柳都物語・第11回」『不思議な地震』に出てくる、栄小学校と湊小学校の間のあたりです(ちなみに、栄小は小林幸子さんの母校、湊小は鷲尾いさ子さんの母校です)。なお、同ホームページには、銅谷白洋の子息、銅谷繁雄さんが描いた新潟の絵もたくさん掲載されていて、新潟市の昔の様子を知る絶好の資料集になっています。
私が初めて銅谷白洋の「新堀四ツ橋の盆踊り」を見たのは、新潟市郷土資料館(旧新潟税関庁舎)の中でした。今は、隣に新潟市歴史博物館(みなとぴあ)という大きな施設が建って(「柳都物語・第1回」『早川堀の幽霊』参照)、郷土資料館だった旧新潟税関庁舎は、その付属施設みたいになっています。
私が銅谷白洋の絵を見た当時(何年前か忘れましたが、そんなに大昔ではありません)は、復元された早川堀の脇に、郷土資料館がぽつんと建っているだけでした。当時は、よほどの物好きでなければ訪れない施設だったらしく、私が行ったときもほかには誰もいませんでした。
展示室も薄暗く、何が展示されていたかほとんど憶えていません。奥にもうひとつ小部屋があって、たしかその中に「新堀四ツ橋の盆踊り」が掲げてあったように思います。裸電球のような薄暗い光のなかで見上げるこの絵には、一種異様な迫力を感じました。
昔の新潟が描かれているはずなのに、まるで遠い異国の風景のような、あるいは画家のつくりだした幻想のような、それともいっそあの世の景色のような、いずれにしても、到底この世の景色には見えませんでした。同じ場所を撮った本編2枚目の写真を見てもらえば、そのとき私の胸に生じた感興をわかっていただけるんじゃないかと思います。
堀を撮影した写真はそれまでにも見てきているのですが、そのほとんどが白黒写真でしたので、私の中の堀もモノクロームの風景でした。それが、極彩色の泥絵のようなこの絵を見て、私の中の堀に初めて色がつきました。
この絵が、今どこにあるのかわかりません。隣に歴史博物館ができてからの旧新潟税関庁舎には、もうありませんでした。歴史博物館にも無かったと思います。ただ、西堀通りの三業会館の前にある「新潟市街角歴史案内」という案内板に、「新堀四ツ橋の盆踊り」と「西堀初春の宵(同じく銅谷白洋・画)」の写真が載っています。
どなたか、「新堀四ツ橋の盆踊り」が今どこにあるか、ご存じの方はおられませんでしょうか?
それでは次回の「柳都物語」をお楽しみに。9月17日、掲載予定です。
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