柳都物語 第16回・天津亮吉邸
【柳都物語 第16回・天津亮吉邸】
土曜日。
今日はめずらしく晴れた。
何日ぶりだろうか。
でもそのせいで、朝はすごく冷えこんだ。
新潟市の冬は、天気は悪いけど寒さはそんなにひどくない。
いつも厚い雲におおわれてるから、放射冷却ってやつがおこらないせいだ。
1日の最低気温は、北関東なんかより高いんだ。
氷点下になることなんてめったにない。
でも、どうやら今朝は、そのめったにない日だったみたいだ。
カーブミラーが霜で曇って、なんにも見えなくなってる。
西大畑公園で、朝9時の待ち合わせ。
やっぱり、いくら寒くても晴れってのはいいよな。
おれは、真っ白な息をゴジラみたいに吐きながら歩いた。
公園に入ると、朝の光が広場の敷きレンガに反射して、逆光の鳩が影絵みたいだ。
同じく逆光の人影が3つ。
3つ?
理絵と奈美のほかに、小男の影だった。
マメオヤジだ。
なんでこいつがここにいるんだ?
おれは、マメオヤジをにらんだ目を理絵に向けた。
「公園の外で会ったら、ついてきちゃったのよ」
理絵は困った顔をしてた。
「なんで、おまえがこの辺ウロウロしてんだよ」
「いいからいいから」
「よくねえよ。遊びに行くんじゃねえんだぞ。帰って寝ろ」
「そんなこと言わないで、おれも連れてってよ。ねえ、兄きぃ」
「だれが兄きだよ」
結局、こいつもいっしょに連れてくことになっちまった。
公園の裏手の道から、どっぺり坂の上へ向かう。
女2人のほうがでかいから、なんだかおれとマメオヤジが引率されてるみたいだ。
道がだらだらの登り坂になると、松の枝が塀の上へ張り出す住宅街になった。
「ひゃあ、すげえ古っちい家があるぜ」
マメオヤジが頓狂な声を出した。
「あんた知らないの? 新潟市長の家じゃない」
奈美が振りかえって言った。
「へー。市長って案外貧乏なんだな。建てかえもできねえのか?」
「バカ。これは公舎じゃないのよ。市長のあいだだけ住む家。でも、最近の市長は全然住んでないみたいだけど」
「なんで?」
「不便なんじゃない? 古いから」
どっぺり坂の上まで来た。
道の左側が急な下り坂になってて、階段がついてる。
これが、どっぺり坂。
この坂を下りて300メートルほどまっすぐ行くと、県知事公舎と新潟小が向かい合った四つ角がある。
その角を左に曲がってさらに300メートルほど行くと大畑小だ。
角を曲がらずにまっすぐ行けば柾谷小路に出る。
どっぺり坂っていう変な名前の由来は、坂下の案内板に書いてある。
なんでも昔、この坂の上に旧制新潟高校の寮があって、この坂を下りて古町(ふるまち)の繁華街に通う回数が増えると落第するってことから、この名前がついたそうだ。
「どっぺり」ってのは、ドイツ語でダブるっていう意味の「ドッペルン」からきていて、つまりは「留年坂」ってことらしい。
天津のじいちゃんの家はすぐに分かった。
どっぺり坂の真上の門柱に、『天津亮吉』って表札が出てた。
門は開いている。
門を入ってから玄関まで少し歩いたから、結構でかい家だ。
でも、建物はさっきの市長公舎と同じくらい古い。
呼び鈴がどこにも無いので、玄関の引き戸をガラガラッと開けたとたん、マメオヤジが素っ頓狂な声をあげた。
「たのもー!」
その頭を、おれと奈美でひっぱたいた。
やっぱり連れてくるんじゃなかった。
「こんにちはー!」
奈美が呼び直すと、廊下の奥から足音がして、着物を着た若い女の人が出てきた。
すげー美人だ。
あの奈美が気圧されたような顔をしてる。
「寒かったでしょう。さあ、お上がりください」
おれたちは広い応接室に通された。
テーブルを囲んで10人くらいの客が座れそうなソファー。
なんだか、古い映画のセットみたいだ。
女の人は、おれたちにテーブルのお菓子をすすめて、今呼んできますからと言って部屋を出ていった。
マメオヤジがすぐにお菓子に手を伸ばしたんで、奈美がその手をひっぱたいた。
「今の人、奥さんかな?」
奈美にたたかれた手を大げさ振りながらマメオヤジが言った。
「そんなわけないでしょ。天津先生のおじいさんよ。
いったいいくつ歳が離れてると思ってんの」
「賭けねえ?」
「賭けない」
*本編中にあります「天津亮吉邸」の写真は、日本銀行新潟支店長の役宅だった建物です。場所は、本編に記したとおり、どっべり坂の真上にあります。今では、新潟市が日銀から買い取って、「砂丘館」という施設として一般公開されています。もちろん『天津亮吉』の表札は出ていません。
【次回投稿は8月20日の予定です】→柳都物語「第17回・天津のじいちゃん」
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