柳都物語 第16回について
「柳都物語・第16回」『天津亮吉邸』、いかがでしたでしょうか?
本編中に出てくる「どっべり坂」ですが、この坂は、以前にも「緑亥館通信」で書いたように、新潟海岸に連なる砂丘に登る階段です。
JR新潟駅の万代口を出て、東大通りを直進し、信濃川に架かる萬代橋を渡ると、道路は柾谷小路と名を変えます。さらにこれを真っ直ぐ行くと、東中通りにぶつかって柾谷小路は終わります。柾谷小路はここで終わりですが、道路は少し細くなってさらに続きます。
その道を500メートルほど行くと、この「どっべり坂」にぶつかります。左の写真は「どっぺり坂」を下から見たものです。ごらんの通りの急坂なので、柾谷小路から続く車道は、坂の手前で大きく右に曲がり、坂を斜めに登っています。
坂下にある「ドッペリ坂と異人池」という案内板には、次のような文章がしるされています。
『かつてこの坂の上には、旧制新潟高等学校(1919年)やその後の新潟大学がありました。
"六花寮"という学生寮が正面にあり、大志を抱き、青春を謳歌する弊衣破帽の学生達が、古町などの繁華街に通う近道としてこの坂をさかんに利用していました。
あまり坂を往来し、遊びの度がすぎると落第するぞという戒めの意から、ドイツ語のドッペルン(doppeln;二重にするという意)と洒落て「ドッペリ坂」と名づけられました。ちなみにこの坂の階段は、及第点の60点に1つ足りない59段でつくられています。
当時この坂の下には高台の砂丘から湧き出す地下水によってできた大小二つの池があり、「異人池」と呼ばれていました。カトリック教会と池のまわりのポプラ並木を水面に映したエキゾチックな風景は、画材ともなり、また魚釣り場として多くの市民から親しまれていました。
戦中、戦後の開発から池は埋め立てられ、今日の姿に変わっています。 1987.3』
本編2枚目の写真の天津亮吉邸は、この「どっぺり坂」の階段を登りきった所にあります。
といっても、もちろんこれは小説の中での話で、実は、日本銀行新潟支店長の役宅(昭和8年建築)だった建物です。日銀新潟支店は、柾谷小路が東中通りにぶつかった角にあります。
今では、新潟市が日銀から買い取って、「砂丘館」という施設として一般に公開されています。
今回、天津亮吉邸のモデルとして、何の断りもせずに勝手に使わせていただきました。
それでは次回の「柳都物語」をお楽しみに。8月20日、掲載予定です。
| 固定リンク
トラックバック
この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/58912/5435197
この記事へのトラックバック一覧です: 柳都物語 第16回について:

緑亥館物産コーナー
コメント