柳都物語 第15回について
「柳都物語・第15回」『ほとばしる水』、いかがでしたでしょうか?
今回掲載の2枚の写真は、またまたDEX社の「フォト満タン」から拝借させていただいたものです。小学校内を撮影するコネのない私にとって、この素材集は大変ありがたい存在です。
前にもこの「緑亥館通信」で書いたことですが、中学校内を撮った写真なら、少しはあるのです。私の母校で、昨秋の文化祭のときに撮影したものです。
実は、水飲み場の写真も、その時たまたま撮ってあったので、最初はこれを使おうかとも思ったのです。しかしながら、どう見てもきれいでなく、はっきり言って汚く、廃校みたいな有様なので、本編への掲載は取りやめにしました。
話のタネに、ここに載せてみます。どうです? 汚いでしょう。
私がこの中学校を卒業したのが、今からちょうど30年前です。当時からきれいな学校ではなかったところへ、さらに30年の風雪を経て、大いにきれいでなくなっています。
今の校舎は、いくら古くてもコンクリート造りですが、私の在校時には、さらに古い木造の校舎もあったのです。その校舎は、さすがに今は残っていません。確か、体育館といくつかの特別教室があって、今の校舎とつながっていたと思います。
どれくらい古かったかと言うと、体育館などは、冬に朝礼などしていると、ちらちら雪が降ってくるほどでした。
普通、世間でいう雨漏りというのは、部材の隙間から染み出した雨水が、しずくとなって落ちてくるものです。ところがその体育館では、雪が空にあるときと同じ姿のまま舞い降りてくるのですから、部材の隙間どころか相当大きな穴が空いていたわけです。
特別教室前の廊下などは、床板が痩せ細り、板の隙間から地面が見えました。まるで山の吊り橋です。
この校舎は、私が入学するだいぶ前、火事になりかけたことがあったそうです。そのとき、一人の先生が決死の消火作業を行い、炎から校舎を守り通しました。ところがその先生は、同僚の先生方から恨まれてしまいました。なぜ燃やしてしまわなかったのかと。
私の入学するだいぶ前にそういう状態だったのですから、私の在校時には、ほとんど「学校の怪談」状態でした。
しかしながら、このような校舎で中学生活を送ったことが、高校に入ってから役に立ちました。なぜなら、入学した高校も、ものすごく汚かったからです。
私の時代は、まだ校内暴力などありませんでしたから、故意に汚損された汚さではなく、ただ純粋に汚かったのです。
汚いだけでなく、生徒数増に対応するため、本来教室でない部屋まで無理矢理教室にされていて、中には、半地下の物置のような場所に押し込められているクラスもありました。
私のような汚い中学校から来た生徒は、比較的平気だったのに対して、きれいな中学校から来た生徒は、相当なショックを受けていて、しばらくは呆然と暮らしていました。
もっとも、私の高校だけが汚かったわけではなく、中にはトイレが汲み取りの高校もあったそうです(新潟市内)。私の高校は、汚いながらも水洗でしたから、まだマシだったのです。
汚かった私の高校は、何年か前に建て替えられて、老人保健施設みたいな建物に変わりました。前を通っても、母校という感じが全くしません。
それでは次回の「柳都物語」をお楽しみに。8月6日、掲載予定です。
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