柳都物語 第12回について
「柳都物語・第12回」『授業参観』、いかがでしたでしょうか?
まず、前回の「緑亥館通信」の訂正をさせてください。
現在、新潟島にある中学校を、市立が5校、新大附属が1校と書きましたが、このほかに、私立の新潟第一中学校がありました。私の学生時代には無かった学校なので、うっかりしてしまいました。申し訳ありません。
さて、今回資料画像として載せた授業参観の写真では、父兄が教室の後ろに立っています。たぶん、これが標準的な参観風景なのでしょう。
1月29日の「緑亥館通信」でも書いたことですが、私の時代にはこれができませんでした。1クラスの生徒数が多すぎて、教室に父兄が入る余地がなかったからです。
小中学校を通して、おそらく1クラス50人近くいたと思います。なにしろ、最後尾の生徒の椅子が後ろの壁にくっついていましたから。そのため授業参観では、教室の廊下側の窓を開けて、父兄はその窓から教室をのぞいていたのです。
最近では、1クラスの人数があまり多いと、授業自体が成り立たなくなってるそうです。学級崩壊などと言う、われわれの時代には考えられなかったことさえ起きています。
生徒も変わったのでしょうが、先生が怖くなくなったことも原因のひとつではないでしょうか。私の中学のときは、『予科練帰り』などという先生がいて、大変に怖かったものです。
予科練などと言っても、今の人にはわからないでしょうから、少し説明します。
予科練とは、海軍飛行予科練習生の略です。
『若い血潮の予科練の…』で始まる予科練の歌(若鷲の歌)が有名です。あの神風特攻隊は、ほとんどこの予科練の卒業生だそうです。予科練卒業生は約24,000人で、そのうち19,000人近くが戦死しています。『予科練帰り』の先生は、卒業前に終戦を迎えたのでしょう。戦争が長引いていたら、特攻機に乗っていたはずです。
こんなことを書いていると、私が大変なジイサマのように思われるかも知れませんが、私の中学時代は昭和40年代の終わり頃です。
また話は変わりますが、小学校の情報を得るために、いろいろな小学校のホームページを覗く機会が多いのですが、はっきり言って、小学校のホームページというのは、お粗末なのが多いですなあ。
おそらく、パソコンのできる先生が、無理矢理押しつけられて作っているのではないでしょうか。ホームページ製作のための時間が与えられるわけじゃなくて、自分の時間をやりくりして作業しているんだと思います。
とにかく、とりあえず作りました、あとの更新は知りません、といった感じのページが多いです。
情報内容も乏しく、1クラスの人数が何人なのか、1学年に何クラスあるのかという情報さえ、全くと言っていいほど書かれてありません。
まあ、私が文句を言う筋合いでは無いのですが、こういうホームページばかり見ていると、少々索漠とした気分にもなります。
それでは次回の「柳都物語」をお楽しみに。6月25日、掲載予定です。
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