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2005.01.29

柳都物語  第2回について

 「柳都物語・第2回」『なぞの転校生』、いかがでしたでしょうか?
 この『なぞの転校生』というタイトルですが、もちろんこれは、眉村卓の名作『なぞの転校生』から、そのまま拝借したものです。
 クラスに転校生が入ってくるというオープニングは、SFジュブナイルのお約束といってもよく、私も「柳都物語」で是非とも書きたかったシーンでした。
 さて、みなさんには転校生の記憶がおありでしょうか?

 私が小中学校のときは、残念ながらクラスに転校生が入ってきたことはありませんでした。隣のクラスにはあったのですが。高校では、2年と3年のとき1人ずつ転校生がありました。しかし、2人とも1学期の始業式からの転入でしたので、全然目立ちませんでした。10クラスもあったので、組替えをした直後では、教室の9割は知らない顔だったからです。
 やっぱり「転校生」というのは、学年の途中から入ってきてこそのものでしょう。こんなことを書くと、転校で苦労した人には怒られそうですが。
 では、転校したほうの経験はどうでしょうか? 実は私、転校したことが1度だけあるのです。小学校2年生のときでした。といってもそれは、高度成長期ならではの特殊な転校でした。
 私が小学校に入学したのは、昭和41年です。余談ですが、小学校時代の学年と、昭和40年代の下1桁の数字が同じなので、大変覚えやすいのです。
 私の一家が、新潟市の隣町である今の住所に引っ越してきたのは、私が幼稚園のときでした。引っ越した当初は、歩いて10分かかる駅のホームが、平屋建ての家の窓から見えました。家と駅の間には、田んぼしかなかったからです。
 ところがその後、あっという間に家が建ち並び始めました。私の住む地域は駅の裏側で、町の中心部からは離れていたのですが、比較的駅に近いということで、新潟市のベッドタウンになっていったのです。
 当然、地域の子供も増えました。そのため、校区ごとの子供の数のバランスが崩れてしまい、校区が割りなおされることになったのです。それで別の校区になった私たち地域の児童が、集団で転校したというわけです。
 まあ、これでは「転校生」とは言えないでしょうなあ。なにしろクラス中転校生だらけなのですから。
 それにしても、最近は30人学級がどうとか言ってますが、われわれ高度成長期の子供のころ、あれはいったい1クラスに何人いたのでしょうか。
 高校のときは、入試があったので覚えているのですが、定員450名で10クラスでした。つまり1クラス45人です。
 中学は確か9クラスでしたが、1クラスの人数はもっと多かったと思います。おそらく50人近くいたんじゃないでしょうか。
 教室の後ろ側の壁は、各自の用具を入れる棚みたいになっていましたが、最後尾の生徒の椅子は、その棚にくっついていました。
 そのため、授業参観のときなど、父兄が教室に入る余地がありませんでした。どうしたかというと、廊下側の扉と窓を全開にして、父兄はそこから教室をのぞいていたのです。
 当時は、こんな人数があたりまえでしたので、それが多いとも不便だとも思いませんでした。そんな環境で育った私としては、1クラス30人では、ちょっと寂しいんじゃないかという気さえします。人数が多いと先生の目が行き届かないということのようですが、私のころは、子供の数が多すぎて持てあましているような先生はおられなかったように思います。もっともそのころは、校内暴力も学級崩壊もまだ無い、のんびりした時代だったからかも知れません。

 なお、『なぞの転校生』に載せた大畑小学校の写真ですが、これは前回の緑亥館通信でも書いたように、現在「新潟市大畑少年センター」という施設になっているものです。

 右のサイドバーに『「柳都物語」資料館』というものをつくりました。
 その中の『新潟島の地図』というのは、物語の舞台となる新潟島(新潟市中心部)の地図です。MapFanWebの地図リンクサービスを利用させてもらいました。地図の中心点が大畑小学校(現・大畑少年センター)です。
 『フォトギャラリー』というのは、本編に載せた写真だけを抜きだしたものです。まだ4枚しかありませんから、はなはだ寂しいですが。

 それでは次回をお楽しみに。2月5日、掲載予定です。

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