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2004.11.28

夏の扉

 ミキオは、今年も夏休みをおじいちゃんの家ですごすことになり、山中村へやってきました。
 山中村へは、二年生まで、おとうさんとおかあさんに連れられて来ていました。
 三年生の去年からは、ミキオひとりで来るようになりました。
 はじめての去年は少し不安でしたが、今年はもう余裕で、電車の窓から見る景色も存分に楽しみました。
 でも電車とバスを乗りついで六時間、すっかりおしりが痛くなってしまいました。
 バスを降りてから、さらに一時間、山道を登らなければなりません。
 お日さまはカンカンと照っております。
 宿題のつまった重たいリュックのせいで、ミキオはたちまち汗だらけになってしまいました。
 バス停から三十分ほど歩くと、舗装のされていない道に入ります。
 乾いた土ぼこりがひとあしごとに舞い上がって、ミキオはすっかりキナコ餅のようになってしまいました。
 道に張りだした木々のこずえから、カナカナゼミの声が降ってきます。
 道は上り坂になってきました。

 これを上りきると、あとはおじいちゃんの家まで下りです。
 ミキオはひとあしごとに「よっこらしょ」と声を出しながら上りました。
 ようやく坂の頂まで上りきって、ミキオはハンカチを出して汗をふこうとしました。
 すると少し先の道ばたの切り株に、猿が腰をかけてタバコを吸っていました。
 でもよく見れば、それは猿ではなく人で、しかもミキオのおじいちゃんでした。
 おじいちゃんは小さくてまっ黒に日に焼けているので、猿と見まちがえたのでした。
「おじいちゃーん」
 ミキオが呼ぶとおじいちゃんも気がつきました。
「おお、ミキオ。よく来たじゃ」
 おじいちゃんはミキオをむかえに出てくれていたのです。
 ミキオとおじいちゃんは並んで歩きはじめました。
 ミキオにはおじいちゃんが毎年小さくなっていくように見えました。
 でもそれは、ミキオが毎年大きくなっていくからです。
 ランニングシャツから出たおじいちゃんの肩には、カギがたの大きなキズがありました。
 子供のころ、山から落ちてきた岩がかすめたそうです。
 名誉の負傷だとおじいちゃんはいつも笑っていました。
 そのキズが、ミキオの目の下になりました。
 来年には、もうミキオのほうが背が高くなっているかもしれません。
 やがて大きな栃の木の辻を過ぎて、おじいちゃんの家につきました。
「おばあちゃん、こんにちはー」
 ミキオが大声で呼ぶと、おばあちゃんが前掛けで手をふきながら出てきました。
「ミキオ、大きくなったの。もううちのおじいちゃんと並ぶようじゃ」
 汗だらけのミキオはすぐにお風呂に入れてもらいました。
「ああいい湯だ」
 ひたいに手ぬぐいをのせて、木の湯舟の中でおもいきり手足を伸ばしました。
「よーし。あしたはやるぞ」
 今年のミキオには目的があったのです。
 それは、去年怖くてできなかった冒険です。
 おじいちゃんの家の裏から山に入ると、三十分ほどで滝の音が聞こえてきます。
 滝の音が聞こえてから、沢を下ること三十分、その滝の下に出ます。
 春休みに来たときは、滝は雪どけ水を集めてすごい勢いで落ちていました。
 でも夏休みに見る滝は、白い水が何本かスダレのように下がっているばかりです。
 すると水のスダレのむこうに、ぽっかりとほら穴があいているのが見えました。
 去年の夏休みに見つけたのですが、どうしても入ってみる勇気がありませんでした。
 ほら穴の入口は幅が狭くて、からだが大きくなったら入れません。
 ほら穴を通れるのは今年が最後のチャンスだと、ミキオは思いました。
 翌日、ミキオは虫取りに行くと言っておじいちゃんの家を出ました。
 リュックにはおばあちゃんに作ってもらったおにぎりが入っています。
「山へ入るんでねえぞ」
「はーい」
 その日もカンカン照りでした。
 虫取り網を肩にかついでおりますが、もちろん目指すは、あの滝の洞くつです。
 遠回りして栃の木の辻から山に入り、沢を下りました。
 今年はじめて見る滝です。
 去年よりも雨が少なかったのか、滝の水は白糸のように細っていました。
 ほら穴の入口もはっきりと見えます。
 ミキオはリュックと虫籠と網を河原に置き、麦わら帽子も飛ばされないように石をのせて置きました。
 リュックから懐中電灯を出すと、半ズボンのベルトにさしました。
 さあ出発です。
 滝のへりから足をすべらさないように慎重に進みます。
 水のしぶきがスネにかかります。
 でも、落ちる水とミキオがしがみついている岩との間には、すき間ができているので、頭から水を浴びることはありません。
 ミキオは両手で岩にしがみつきながら進みました。
 ようやくほら穴のふちに手がとどきました。
 ミキオは懐中電灯を腰から抜いて、ほら穴の中を照らしてみました。
 ほら穴は折れ曲がっているらしく、奥までは見とおせません。
 でもミキオがなんとか通れそうな広さで続いているようです。
 ミキオは思いきって踏みこみました。
 天井からしずくが落ちてきてミキオの頭にあたります。
 十メートルほど進むと、ほら穴は左右に分かれていました。
 ミキオはどっちを選ぼうか迷いましたが、右の穴を進むことにしました。
 穴の先はいっこうに狭まらずに、どこまでも続いているようでした。
 分かれ道から三十メートルほど進んで、だんだんミキオが不安になってきたときです。
 ほら穴の向こうに光がさしているようです。
 ミキオは懐中電灯を消してみました。
 たしかに地上の光です。
「出口だ」
 いったいあの山のどこへ出るのでしょう。
 ミキオは秘密の抜け道を見つけてドキドキしてきました。
 光のさしているところでほら穴はまた二又になっていて、その左がわの穴から光がさしています。
 ミキオは懐中電灯を腰に戻して岩をつたいました。
 ほら穴の出口に水が落ちています。
 その向こうに空が見えました。
「ここも滝だ」
 ミキオは穴から顔を出しました。
 入口の滝よりも水の量が多くて、腰のあたりまで水しぶきがかかります。
 ミキオは岩と水のすき間を、岩にしがみつきながら回って、滝の外に出ました。
 ミキオはしばらくあたりを見まわして、
「変だなあ」
とつぶやきました。
 ここの景色は、入口の滝の景色とそっくりでした。
 ちがっているのは、落ちる水の勢いだけです。
 さっき置いてきたリュックや虫籠もありませんので、入口の滝ではないことは確かでした。
 ミキオがどうしようかと思っていると、滝壺の水が動いて、何か黒いものが飛び出しました。
 ミキオはカッパが出たと思ってびっくりしました。
 でもよく見るとそれはカッパではなく人で、しかもミキオと同じくらいの少年でした。
 ぼうず頭でまっ黒に日焼けした少年は、ミキオの方へ平泳ぎで泳いできました。
「おめえ、どっから来た?」
「と、東京」
「そうでねえ。この滝にどっから入ってきた?」
 ミキオは滝裏のほら穴を指さしました。
「どうやらじいちゃんの話はほんとうだったな」
「?」
「そのほら穴は途中で行きどまりだ。でもときどき穴からおかしなかっこうの人が出てくることがある。ちょんまげを結っていたり、原始人みたいなかっこうをしていたりする。おまえもどうやらそのくちだな。変なかっこうだ」
 少年は水から上がってきました。
 変なかっこうなのは君の方だとミキオは思いました。
 少年は素裸にフンドシ一丁でした。
「穴から来た人は、必ず穴から戻してやんねばなんねとじいちゃんが言ってた」
 でもミキオは、来たばかりですぐ帰るのはつまらないように思いました。
「君は谷戸の人なの?」
「おめえ、うちの部落を知ってるのか?」
「そこから来たんだ」
「見たことがねえな」
「きのう、東京から着いたんだ」
「どこの家にいる?」
「山村」
 ミキオは、おじいちゃんの名字を言いました。
「部落のほとんどが山村だ。おらの家も山村だ」
 いろいろ話しているうちに、ミキオと少年はうちとけてきました。
「まあ、おめえもすぐに穴に戻らんでもいいだろ。少し遊んでいけや」
 ミキオは喜んでうなずきました。
 それから二人は、滝壺に河原の石を投げて石切りをしたり、ミキオもパンツ一枚になって滝壺で泳いだりしました。
 滝壺の水はまっ青に澄んでいて、大きな魚がゆうゆうと泳いでいました。
 その魚を二人で挟みうちにしようとしましたが、あっという間に逃げられてしまいました。
 そのうち、ようよう二人も遊びつかれて水から上がりました。
 少年は水のしずくを顔にキラキラさせながら言いました。
「おめえ、そろそろ穴に帰れや。もう日が暮れるぞ」
 ミキオはびっくりしました。
 ほら穴に入ったのは、朝方のことです。
 いくら時間を忘れて遊んでいたって、まだお昼前のはずでした。
 でもたしかに日はかたむきかけて、空は夕焼けの気配にうすくそまりはじめていました。
 ミキオはなんだか寂しくなって、急いで服を着ました。
「あしたも来れたら、また来いや」
「うん」
 ミキオは穴に入る前に、さっきから気になっていたことを少年に聞きました。
「その肩のキズ、どうしたの?」
「これか。去年の大水のとき、山から大きな岩が落ちてきてな。それがかすめたんだ。名誉の負傷だ」
「痛そうだね」
「もうなんともねえよ」
「明日もまた来る」
「ああ」
 ミキオはほら穴に入りました。
 最初の分かれ道で右に折れて、つぎの分かれ道で左に折れました。
 すぐに入口の滝が見えました。
 細々とした水の糸が下がっています。
 穴を出てミキオはくびをかしげました。
 お日さまは頭のてっぺんでカンカンと照っています。
 あたりの木々から、セミの声が降ってきます。
 どう見てもま昼でした。
 河原には、リュックや虫籠がそのままに置いてありました。
 ミキオは、なんだか急におじいちゃんの顔が見たくなって、リュックをかつぐと沢をいっしょうけんめい登りはじめました。

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