山色清浄身(さんしきしょうじょうしん)
昔むかし、あるところに、たいへんに信心ぶかい若者がありました。
若者の名を権助といいました。
権助は、朝夕、熱心に仏さまをおがんでおりました。
そのうち、おがんでいるだけではもの足りなくなり、もっと仏さまのお近くに身をおきたいと思うようになりました。
ある年の冬のことです。
権助は、毎日まっ白な雪景色を見ているうち、花が咲き鳥が歌うという仏さまのお国がたまらなく恋しくなりました。
とうとう雪の降りつのるある日、権助は蓑と笠をつけて家を出ました。
いったいどれほど歩けば仏さまのお国につくのかわかりません。
仏さまのお国が西の方にあるということしか知りません。
いっしんに西をさして歩くばかりです。
その年は雪が深く、かんじきをはいた足でも歩くのは容易でありませんでした。
西からの吹雪が権助めがけて吹きつけ、顔も上げられないほどでした。
それでも仏さまのお国へ行きたいいっしんで、権助は歩きつづけました。
峠をこえ、谷をくだり、川をわたり、雪野原をぬけて歩みました。
いく日か歩きつづけると、ようやくに雪も少なくなり、ちらほらと地面が見えるようになりました。
西の空も明るくなってきたようです。
道は西へ向かってまっすぐに伸びております。
権助の足はひとりでに速まりました。
もう西から吹きつける風もありません。
雪のまだらに解けた地面には、あちらこちらにフキノトウが顔を出しています。
権助が元気よく歩いてゆくと、道のはたにお地蔵さまが立っておりました。
「もしもし、お地蔵さま。仏さまのお国へは、この道でええでしょうね?」
権助は西を指さしてたずねました。
するとお地蔵さまの石の指が、まっすぐに権助の来た東をさすではありませんか。
「やや。お地蔵さま、そっちはおらの村のほうだで、仏さまのお国はありましねえだ」
それでもお地蔵さまは東を指さしたまま動きません。
ここまで来て東へもどれと言われても、権助はあきらめきれませんでした。
「お地蔵さま。申しわけねえだが、おらはもうちっと西へ歩んでみますだ」
権助はお地蔵さまに頭を下げると、再び西へ向かって歩きはじめました。
ゆるやかな丘をこえると、お花畑が広がっておりました。
花のうえにはたくさんの蝶が飛び、おぼろのかかった空からは鳥の声がのどかに聞こえてきました。
権助は、仏さまのお国の近くまで来ているにちがいないと思って、胸がどきどきしました。
ところが、夢うつつでお花畑をぬけた権助の足が、ぴったりと止まりました。
目の前には、信じられない景色が見えておりました。
道がそこで終わっていたのです。
ぷっつりと消えた道の先は、はるか水平線のかなたまで海が広がっております。
足もとは、目のくらむような断崖絶壁でした。
カモメが二三羽飛んでいるばかりで、島影ひとつ見えません。
「仏さまのお国は、海の向こうだべか」
権助は崖の上に座りこんで、しばらくぼーっとしておりました。
それでもようようにあきらめをつけて立ちあがると、いまきた道をとぼとぼともどっていきました。
花畑を目を伏せてぬけると、さっきのお地蔵さまが立っておりました。
お地蔵さまの指は東をさしたままです。
「お地蔵さま。おまえさまの言いなさるとおりでした。しかたねえから、おらは村に帰りますだ」
権助はとぼとぼと帰っていきました。
草原をぬけ、川をわたり、谷をのぼり、峠をこえました。
峠のうえからは、おぼろにかすむ古里の村が見えました。
権助は急に村が恋しくなって、峠をかけおりました。
村はすっかり春になっておりました。
春のおそい権助の村では、梅と桃と桜がいっせいに花を咲かせます。
いま、その花ざかりでした。
風にそよぐ枝をはなれて、花びらがちらちらと舞っております。
何度も見てきた景色でしたが、今年の花は権助にはとりわけ美しく見えました。
西のはてで見たお花畑より権助には美しく見えました。
花の林を歩むうち、権助はどっと疲れがでて眠くなりました。
もうひとがんばりで村ですが、まぶたが重くて目をあいていられません。
とうとう林の中でひと眠りすることにしました。
林にわけいると、谷川のせせらぎが聞こえてきました。
権助は下草に横になると、たちまち眠りこみました。
夢の中でも谷川のせせらぎが聞こえております。
すると、そのせせらぎの音が、権助を呼ぶ声にかわっていきました。
「権助。権助」
権助は声のするほうをさがすのですが、声の主はどこにも見えません。
「おらを呼ぶのはどなたですだ」
「わたしは仏だ」
権助はびっくりぎょうてんしてあたりを見まわしました。
「仏さま。おらは仏さまのお国が見たくて西のはてまで行きましただ。どうかお姿を見せてくだせいまし」
「権助。おまえは私を見ているではないか」
「えっ」
権助はおどろいて目をこらしましたが、目の前には満開の花の林しか見えません。
「仏さま。おらには花の林しか見えましねえだ」
「それが私だ」
「えっ」
「おまえがいま見ているもの、花の林も、おぼろにかすむ山も、雪どけの流れも、すべて私の姿だ。おまえは私の体のうえで生きているのだよ」
やがてそのお声は谷川のせせらぎにもどり、権助は目をさましました。
満開の花の林のむこうに雪の残る山が見えます。
「おらは今、仏さまを見ているだな。そしたら仏さまのお国へ行かなくても、おらの村でいいだよ」
権助はいきおいよく立ちあがると、村への道をいっさんにかけだしました。
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