タルトの森
フィリング博士と助手のシュクレは、森の中で道に迷ってしまいました。
どうやらさっきから、同じところをぐるぐる回っているようなのです。
頭上はるかな木々の枝を透いて、わずかばかりの陽の光が、森の底に散っていました。
ときおり「ケケケケケ」などというものすごい鳴き声を立てて、真っ赤な鳥がこずえをわたってゆきます。
「シュクレ君。こうむやみに歩き回っていては疲れるばかりだ。腰を落ち着けて少し頭を冷やそうじゃないか」
「そうですね、博士」
二人は、倒木に腰をかけて途方にくれました。
たまたま立ち入った森は、フィリング博士が研究しているランの花でいっぱいでした。
それで二人とも夢中で歩き回るうち、道を失ってしまったのです。
森に入ってから、かれこれ半日が過ぎようとしていました。
「シュクレ君。どうにも腹がすいてかなわん。私のかわりに何か考えてくれ」
ランチの時間はとっくに過ぎていましたが、お弁当のサンドイッチは、森の外に止めた車の中です。
フィリング博士はたいへんな食いしんぼうで、おなかがすくと考えがまとまらないと言って、いつもお菓子を食べながらタイプライターをたたいていました。
おかげで、博士のおなかはすっかり出っぱってしまい、机につかえそうになっています。
フィリング博士に、かわりに考えてくれと言われて、助手のシュクレはいっしょうけんめい頭をひねりました。
いったい、どうやったら森を出られるのか。
でも、よい考えはいっこうにうかんできません。
「シュクレくん。そこらに何か食べられそうなものはないかね」
シュクレは森を見まわしましたが、枝に下がる木の実も無く、地面に食べられそうな草も生えていません。
シュクレは力なく首を横にふりました。
「とほほほほ。こんなことになるんだったら、あのタルトを食べてしまうんだったわい」
フィリング博士はタルトが大好物でした。
研究室の冷蔵庫には、きのう町で買ってきた、大きな洋梨のタルトが入っていました。
今日の三時のおやつに食べるのを、楽しみにしていたのです
「シュクレくん」
フィリング博士は、とつぜん背筋をしゃっきりと伸ばしました。
「このランの花は食えんかね?」
博士が採取袋を逆さに振ると、とったばかりのランの花が、ばさばさと足もとにこぼれました。
夢中でとったので、思いがけなくたくさんの花がありました。
中には奇妙な形の花もありましたが、おいしそうな花びらもあります。
「博士、毒でもあったらたいへんです」
「なに、長年の研究で、毒があるかどうかくらいカンでわかるさ」
フィリング博士は、花の山をかきわけていましたが、やがて一輪の花を取りあげました。
「これじゃ。これは食える」
カトレアに似たピンク色の花でした。
「博士、やめたほうがいいですよ」
「だいじょうぶだ。これに似た花を食べたことがある」
フィリング博士は花びらをちぎってムシャムシャと食べはじめました。
シュクレは博士の顔をじっと見ています。
むずかしそうにしていた博士の顔が、ぱっとほころびました。
シュクレはぎょっとして跳びすさりました。
「なかなかいけるわい」
博士は花の山から同じ花びらをいくつもひろいあげました。
「シュクレくん。君もこわがらずに食べてごらん。これも研究のうちだ」
フィリング博士がなんともなさそうなので、シュクレのおなかも鳴りはじめました。
博士からわたされた花びらを、歯の先でかんでみました。
シャッキリとした歯ごたえがあって、舌の上にはりつく感じも悪くありません。
二人は夢中で同じ花を拾いだして食べました。
「シュクレくん」
「何です、博士」
「どうやらこの花には毒があったらしい」
「ええっ」
シュクレはおどろいて博士の顔を見ました。
「君にはあれが見えるかね」
シュクレは、博士が指さした先をだんだんに目でたどっていきました。
さっきまで小さな沼だったところに、おかしなものが見えます。
薄いスープ皿のような形をしています。
パンを焼いたような色です。
でも、その大きさが普通ではありません。
差し渡しが十メートルはあります。
「博士、あれは何でしょう?」
「君にも見えるかね。何だと思う?」
「何でしょう?」
「わしにはタルトにしか見えんのだが」
シュクレは目をこすって、もう一度よく見ました。
たしかにタルトの色と形をしています。
でもその大きさが信じられません。
フィリング博士は、すーっと立ち上がると謎の物体に近よっていきます。
「博士、危険です」
シュクレはあわてて止めようとしましたが、博士は夢遊病のように歩いていきます。
とうとうシュクレは、巨大なタルトのそばまで博士に引きずられていきました。
タルトは沼にうかんでいるようでした。
タルトの縁は博士の胸くらいの高さがあります。
「不思議だ」
「不思議すぎます。こんなのに近づいては危険です」
「これは洋梨のタルトだ」
「もう逃げましょう」
「まちがいない。これはきのう私が町から買ってきた洋梨のタルトだ」
「そんなバカな」
そのとき、フィリング博士の足がズブズブと沼に沈みはじめました。
博士は足を抜こうとしてバランスを失い、沼にひっくりかえりそうになりました。
シュクレはあわてて博士をささえようとしましたが、大木にとまったセミのようで役に立ちません。
ふりまわしたフィリング博士の腕が、タルトの縁にひっかかりました。
博士は思いきりタルトにすがりました。
するとタルトも、博士の体重でズブズブと沈みはじめたのです。
それでも博士は、必死でタルトにしがみつきました。
そのとき、博士の両足が沼からスポンと抜けました。
なんと、その反動で博士は頭からタルトの中に転げ込んでしまったのです。
シュクレにとってはあっという間の出来事で、どうすることもできませんでした。
ともかく博士を助けなければと、タルトの縁に飛び移りました。
「フィリング博士いー、大丈夫ですかー」
そのとき、タルトの表面がユラユラと揺れて、真っ黄色の海坊主が飛び出ました。
頭に洋梨をのせています。
それはタルトまみれになったフィリング博士でした。
かわいそうなシュクレは、びっくり仰天してタルトに転げ込みました。
「シュクレくん。そんなにあばれなくとも、ちゃんと足が立つよ」
シュクレもようやくタルトから顔を出しました。
頭に洋梨をのせています。
フィリング博士は、顔のまわりのタルトをなめながらいいました。
「シュクレくん。これはまごうことなく、わしがきのう町から買ってきたタルトだ。試食してから買ったんじゃからまちがいない」
シュクレも、口のまわりについたタルトをなめてみました。
まさしく、町で評判のお店の味でした。
二人はタルトの中に浮かびながら、ぞんぶんにその味を楽しみました。
頭の上にのった洋梨もちぎって食べました。
いつも三時のおやつは、もう少し食べたいというところで無くなってしまいます。
ところが今日は、食べても食べても、食べきれる量ではありません。
二人は夢中で食べ続けました。
そのうち、フィリング博士のからだがズブズブと沈みはじめました。
あまりにも食べすぎたのでしょうか。
「博士!」
シュクレはあわてて博士を引きあげようとしました。
でも、博士は何かに引っぱられるように沈んでいきます。
そしてあっという間に、二人ともタルトの中にのまれてしまいました。
ガラガラガッシャーン!
ここはフィリング博士の研究室です。
誰もいない研究室で、ものすごい音がしました。
冷蔵庫の扉が開いて、中からなにかが転げだしてきたのです。
それは、タルトまみれのフィリング博士と助手のシュクレでした。
二人はまだいやしく口のまわりをなめていましたが、見なれた研究室の景色をながめまわすうち正気にかえりました。
「博士、助かりましたよ。なんだかわからないけど、帰ってこれたんです」
でも、フィリング博士の顔はすこし悲しげでした。
「わしは助からんでもよかった」
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