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2004.10.24

権助とイノシシ

 夏の日のことでした。
 権助は森の小道をひとりたどっておりました。
 木もれ日が細かな影を土に落としております。
 ときおり小道の先をまっ青な蝶がよぎっていきました。
 道は登り坂でしたが、権助は鳥の声を聞きながら気持ちよく歩んでおります。
 すると、なにやらドシンドシンと地にひびくような音がしてきました。

 何の音かと不思議に思いながら権助がしばらく行くと、小道の脇に森がほっかりと開けたところがありました。
 音はそこからしております。
 見ると、そこには大きなイノシシが、まわしをしめて四股をふんでおりました。
「やや。イノシシがまわしをしめて四股をふんでいるだ」
 権助は実にびっくりしました。
 生まれてこのかた、イノシシがまわしをしめて、後ろ足で立って四股をふんでいるところなど見たことがなかったからです。
 イノシシは鼻から太い息を出しながら、ものすごいいきおいで四股をふんでおります。
 あんぐりと口を開いて見ていた権助をイノシシが見つけました。
 イノシシは目をらんと光らせると小道へかけだしてきて、権助の前に立ちふさがりました。
「こらおまえ。けいこ相手がおらなんで退屈しておったところじゃ。わしとすもうをとっていけ」
 権助は、森の中でイノシシとすもうをとるいわれなどないのでことわろうとしました。
「イノシシどん。おらはまわしもしめてないで、すもうはとれん」
「なんの。まわしなんぞいらんわ。わしは突き押し一辺倒じゃ。まわしは取らん」
 よく考えるとイノシシの前足はひづめなので、まわしを取ることはできないのでした。
 権助は、それではこのイノシシはどうやってまわしをしめたのだろうと思いました。
 でも、そんなことをいちいち聞いていてはひまがとれるばかりなので、権助はもう一度ことわりを言いました。
「イノシシどん。おらはちっと先を急ぐでな、ぬしとすもうを取ってはおれんのじゃ」
「なんの。わしのすもうは電光石火の突き押しずもうじゃ。あっというまに勝負をつけてくれるわ」
 イノシシは、鼻から百目ろうそくのような太い息を出していばっております。
 権助もそこまで言われるとくやしくなりました。
 権助は村ずもうの大関だったのです。
「それではイノシシどん。勝っても負けても一番勝負じゃ」
 イノシシは大よろこびでとって返すと、ひづめで土俵を画きました。
 そしてまたものすごい勢いで四股をふみはじめました。
 鼻息をふいごのように出しております。
「ふんがー。ふんがー」
 権助も肌ぬぎになって帯をしめ直すと、イノシシの画いた土俵に上がりました。
 仕切ってみて、権助はイノシシの大きいのにいまさらながらおどろきました。
 両の肩がもりあがって小山のようです。
 鼻からはあいかわらず太い息を出して権助の顔に吹きかけるので、目をあいておれないほどでした。
 権助とイノシシは、土俵の真ん中で両手をついてしばらくにらみ合いました。
 そしてついに一人と一頭は立ち合いました。
 イノシシはものすごい上づっぱりをあびせてきます。
 権助の胸には、イノシシのひづめの丸いあとがたくさんつきました。
 権助はたちまち土俵ぎわまで追いつめられました。
 イノシシは勢いづいて突いてきます。
 権助はやっとこさ体をかわすと、土俵を回り込もうとしました。
 イノシシはうまく体をよせて、権助を抱えにきました。
 権助は苦しまぎれにイノシシの首に腕をまいて、首投げをうとうとしました。
 ところが、イノシシは猪首で首がなかったので、権助の腕はすっぽりと抜けてしまいました。
 権助はたたらを踏んで、土俵ぎわで片足立ちになりました。
 イノシシは目をよろこばせて寄せてきました。
 権助はもうだめだと観念しました。
 そのときです。
 権助の空にういていた片足の指が、たまたまイノシシのまわしの結び目にひっかかったのです。
 体をささえるところはそこしかなかったので、権助の足の指はぎゅっとばかりに結び目をつかみました。
 するとどうしたことでしょう。
 イノシシのまわしがたちまちゆるんで、足もとにするするストンと落ちてしまいました。
 きっとひづめでしめたまわしなので、しっかりと結ばっていなかったのでしょう。
 みなさんは知っていますか?
 すもうでは、まわしが落ちた者は負けなのです。
 イノシシは世にも悲しげな顔をすると、すごすごと森の中へ逃げていきました。
 土俵にはイノシシのまわしが落ちております。
 権助は落ちたまわしをしばらく見ておりましたが、おもむろにそれをつかむと自分の腰にキリキリしめました。
 そして、ものすごい勢いで四股をふみはじめました。
 鼻からは百目ろうそくのような息を出しております。
「ふんがー。ふんがー」
 権助は目をらんらんと光らせながら、森の小道を誰かが通りかかるのを待ちました。
 森には、権助のふむ四股の音がドシンドシンとひびきつづけました。

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