亀負い道中
旅は道連れてなことを申しまして、気の合った者どうし仲良くおしゃべりをしながら名所旧跡をめぐるなんてのは、実に楽しいものでございます。
ところがこの道連れというもの、普段仲良くつきあって、こいつとは気が合うなんてことを思っておりましても、いっしょに旅をしてみますといろんなところが見えてきます。
人は無くて七癖と言いますが、さまざまな癖の中でも、酒癖というものはまことにやっかいなものでございます。
一日に十里も十五里も歩んで、ようよう旅籠に荷をほどき、熱いお湯につかって街道の埃を流しましたら、御酒の好きな方はまず飲まずにはおられません。
まあ一献ということで、仲良く飲んでいるうちはよいのですが、そのうち旅の空の気ままも手伝って、羽目を外す方も出てくる。喧嘩がおこる。
これが旅でもなければ、ぷいと別れてしまえばよいのですが、あいにくと旅籠ではいっしょの部屋に寝なくちゃならない。
せっかくの楽しい旅で、お互い背中を向けて寝るてなことになる。
朝になりましても、まだ腹立ちの収まらない者もおりまして、喧嘩相手がぐうぐう寝ているのを見ても気にさわる。
こんな野郎は置いてっちまえてなことで、先に旅籠を発ってしまうなんてこともありましたようで。
そんなおいてけぼりを食った男が、一人山道をたどっております。
「なにも置いていくこたぁねえだろうがよ。一生に一度てぇ旅じゃねえか。大人げのねえやつらだぜ。(目をこすりながら)いけねえやな。どうもいけねえ。ゆんべの酒が、まぁだ効いてやがるぜ。よっぽど悪い酒だったね、ありゃあ。目にくるってなあ、悪い酒だ。さっきから妙なもんが見えやがる。どうしても、ありゃあ亀だよな。人じゃねえや。真人間じゃねえ。ゆんべの宿の女中もカナヘビみてえな面ぁしてやがったが、こいつよりかは人間に似てたかも知れねえ。どうみても亀だね。でっけえ亀が、こう後ろ足で立ちあがって、えっちらおっちら歩んでくるようにしか見えねえぜ。山ん中にゃあ、モモンガてえ化け物が棲むっていうが、ひょっとするとこいつがそれかね」
「おめえさん、おらがモモンガに見えるかに? そりゃあ、目が悪いんじゃねえで、脳が悪いだに」
「やや。こりゃ驚れえた。しゃべりやがったぜ。亀が鳴くてえ話は聞いたことがあるが、人の言葉をしゃべるてのは聞いたことがねえ。ははぁ、違えねぇ。こいつぁ狸だ。おいらを化かそうってんだな?」
「狸が亀に化けて、何を化かすんだに」
「茶釜に化け損なって、亀に乗りかえたんじゃねえのか?」
「山ん中で茶釜になってどうするだに。わからん人だに」
「そんならおめえは、見たとおり全くの亀かね?」
「あったりめえだに」
「そいじゃあ聞くがよ。ここいらの亀てのは、後ろ足で立って歩くのかい?」
「馬鹿こくでねえだに。亀は四つ足で這って歩くもんと決まっておるだに」
「そんならおめえは、どういう料簡でそうして立って歩くんだ?」
「おらあ、生まれてこのかた幾千年、ずっと四つ足で這って歩いてきただが、どうにも飽いてしまっただに。そいでこの春からは後ろ足で立って歩くことに決めたんじゃが、どうにも歩きづらいだに」
「そりゃあ、四つ足で這うようにできているもんが、いきなり立って歩いたんじゃあ難儀だろうぜ。はーはーいってるじゃねえか。でえてえその甲羅が重すぎるんじゃねえのか?」
「それだに。なにしろ後ろにひっくり返りそうになって困るだに」
「まあ、そう息があがっちまったんじゃあしょうがねえやな。ここらでひと休みしていったらよかろうぜ」
「そうだに。ここらでちっとひと休みするのは兎ときまっておるが、亀とて休まにゃやりきれんわ」
「そこにちょうどいい切株があるじゃねえか。そいつに腰かけねえ。………。でえじょうぶかい? ふらふらしてるぜ。………。それで休まんのかい? 甲羅で寄っかかってるだけじゃねえか」
「甲羅がじゃまで座れねえだに」
「やっかいな甲羅だね。重てえわ座れねえわじゃ、いっそのこと脱いじまったらどうだね」
「そったらこと。亀の甲羅は腹のほうまでまわっておるで、そう無造作に脱ぎさしはならねえだに」
「それにしてもよ、それじゃあ立ってるのといっしょだぜ。もうちっと寄っかかったらよかろうによ。そうそう。あっ、あぶねえ。………。あーあ。甲羅がすべってひっくり返りゃあがった」
「ひっくり返ってしまっただに。起こしてけろ」
「そのまんま休んでいればいいじゃねえか」
「そうはいかんだに。これは亀の本性で、ひっくり返ったら起きなおるまでは休めねえだに。起こしてけろ」
「やっかいな本性だね。そら、裏返すぜ。せーの。よっこらしょのしょ」
「はーはー。助かっただに。………。やっぱり四つ足はええ」
「しみじみ言いやがったね。まあ、二本足で歩くのはあきらめたがいいみてえだな。そしたらこの切株にゃおいらが座らしてもらうぜ。ちょうど昼どきだ。弁当をつかうにゃあ塩梅がいいや。よっこらしょっと。どうであの宿にあつらえさせた弁当だ。ろくなもんじゃあるめえが、竹の子の皮につつむなんざ、ちったぁ気がきいてるじゃねえか。やあ、でっけえ握り飯が二つだ。まあ、妙なもんを食わせられるより、握り飯ならはずれがねえや。………。うめえ。山道を歩きゃあ何でもうめえやな。おや、亀どん。おめえさん急に口をきかなくなったね。どっか悪いのかい?」
「何でもねえだに」
「そうかい。そんならいいがよ。さっきからものすごい横目でおいらの握り飯を見ちゃあいねえかい?」
「気のせいだに」
「まあ、そうやせがまんするこたぁねえやな。口からよだれがダラダラ落ちてるじゃねえか。どうで握り飯は二つある。おめえに一つやろうじゃねえか」
「なんと。二つしかないものの一つをおらにくるるというかに? ほんとかに?」
「カニカニて、おめえは亀だろうよ。なあ。旅は道連れだ。仲良く食おうじゃねえか」
「おめえさん、狸でねえかに?」
「何でおいらが狸なんだよ」
「おらに街道の馬糞を食わそうってんじゃねえかに?」
「馬鹿言ってんじゃねえやな。それ、取りねえ」
「ありがてえだに。人は見かけによらねえもんだに。こんな奇特な人とは思わなかっただに」
「見かけによらねえってのはよけいだぁな。え、うめえか?」
「こいだけうまきゃ、馬糞でもいいだに」
「そうがっつくとのどに詰まらすぜ。ほら言わんこっちゃねえ。目ぇ白黒してやがる。ん、背中をたたけってのか? どうだい? これでいいのかい? 甲羅がぽこぽこいってるだけだぜ。西瓜だね、まるで」
「はーはー。また助かっただに。こったらうめえ握り飯を食わしてもらっただけでねえ、あやうく一万年ある寿命をなくすところまで助けてもらっただに。海亀なら竜宮へ連れていかねばならんところだに、おらは陸亀じゃでそれもならん。せめて、おめえさんの行く先までおらの背中に乗っていくだに」
「まあ、おめえがそうまで言うんなら、ひとつ乗っけてってもらうかな。これも旅の楽しみだ。江戸にいたんじゃ亀に乗るてなこたぁねえからな。よっこらしょ。これでいいかい? でもよ、亀どん。おれの行く先ってのは、ちっと遠いぜ」
「天竺かに?」
「そんなところまでは行きゃしねえよ。お伊勢さまだ。牛に引かれて善光寺参りてことは言うが、亀に揺られてお伊勢参りなんてのも、おつじゃねえか。話の種にならぁな」
「そんなら行くだに。振り落とさんねえよう、掴まっとくだに」
「掴まるったってよ、どこにも掴まりどころがねえぜ」
「おらの首っ玉に掴まるだに」
「亀の首っ玉なんぞに掴まりたかねえなあ。おい、こうかい? こりゃいけねえぜ。おめえの甲羅が高えから、首っ玉に掴まった日にゃあ、頭より尻の方が上がっちまわあ。ばあさんが土間へ転げ落ちたみてえじゃねえか。おめえ、首を甲羅のてっぺんから出しねえな」
「煙突じゃねえだに」
「しかし、手ぶらってのも妙なもんだね。後ろへ手ぇ回しゃあ引きまわしみてえだし、こういうのを手持ちぶさたって言うんだろうね。見得でも切ろうか? ………! どうでえ?」
「おめえさん、目ん玉むいて立ちあがるでねえだに。人の背中で六方踏むでねえ。そったらことしとると転げ落ちるだに」
「こちとら江戸っ子だ。そんなどじは組まねえよ。さぁ、やってくれ。え、どしたい?」
「すでに歩んでるだに」
「なにおぅ。歩んでるのかい、これで? べらぼうにのれえじゃねえか。景色がちっとも変わらねえや。花魁道中でも、もうちっとはかがいくぜ。おいおい、見ねえ。ハサミムシが追いこしていったじゃねえか。振り落とされるどころの話じゃねえや。この調子でお伊勢さままで行ったんじゃあ、亀の背中で骨になっちまわぁ。それでもまあ、せっかくの気持ちだ。次の宿まで乗せてってもらおうか。………。それにしてもよ、亀の背中てぇのは座り心地が悪ぃね。甲羅が山形にとんがってやがるから、おいらの尻の割れ目がちょうどそこへささるようだぜ」
「これでおらが駆けだしたら、おめえさんは尻ったぶから真っ二つに割れちまうだに」
「ははは。駆けだされる心配はねえや。しかしなんだね、せわしねえのが江戸っ子の癖だが、こうして旅に出たときくれえのんびりするのもいいやな。こんなとこへ来てまで江戸の風を吹かすてのも野暮なもんだ。なんだか知らねえ鳥の声が降ってくるし、こんなときおいらに発句の心得でもありゃあな。大家さんが下手な句をひねくるのを馬鹿にして見ていたが、あれでも暇つぶしくれえにゃあなるてもんだ。さっきからあすこに見える道祖神がちっとも近づいてこねえなんてなぁ、風流じゃねえか。ははは。こんどはシャクトリムシが追いこしていきゃあがった。それにしてもよ、風がちっと涼しくなって、日が陰ってきたんじゃねえのかい? これで日の落ちる前に宿に着けんのかね。なあ、亀どん、いくらなんでものろすぎるんじゃあねえのか?」
「よくしゃべるお方だに。さっきから立ち止まって考えごとをしているだに、歩んでねえだよ」
「ははは。なんだ、歩んでねえのかよ。どうりでべらぼうにのれえはずだぜ。なんだとぉ。何で歩まねえんだよ。日が暮れちまうじゃねえか」
「一服しようと思ったら、煙管がねえだに」
「一服するほど歩んじゃいねえぜ」
「つらつら考えるに、どうもさっきの切株のとこへ落としてきただに」
「どうで亀の煙管なんざ大した物じゃあるめえ。おいらのを貸すからよ、ここは先を急ごうじゃねえか」
「そうはいかんだに。あれは先祖伝来由緒正しい煙管で、なんとかちゅう銘があるだに。義兼ちゅうただかな?」
「馬鹿言うんじゃねえよ。義兼つったら国定忠治の刀じゃあねえか。そんな煙管があるわきゃねえだろ」
「そんなら、正宗ちゅうただかな? 煙管正宗」
「おめえ、おいらをからかってんじゃねえのか?」
「三年ほど考えれば思いだすかもしれねえだに」
「三年も考えこまれてたまるかよ。そいじゃどうでも切株まで戻る気かい? 情けねえな。日が暮れちまうぜ」
「あわてるこたぁねえだに。おらはこの先百年ほど予定が入ってねえだに」
「おめえに無くても、おいらにゃあ大有りなんだよ。日の暮れまでに次の宿へ入るてぇ大事な予定がよ。ちきしょうめ。そんならこうしようじゃねえか。こんどはおいらがおめえを担ごうじゃねえか。さあ、背中に乗んねえ」
「そいじゃ悪ぃだに」
「悪ぃもヘチマもあるかよ。おいらぁ今、無性に駆けだしてえ心持ちなんだよ。いいかい? 乗ったかい? 立ちあがるぜっ。くそ重てぇ亀だな。つかまってろよ。江戸で韋駄天と呼ばれた弥七さまだ。振り落とされんじゃねえぞ。そーれいくぜ。あらあらあらあら」
あっという間に切株に戻りました。
「おめえさん、大丈夫かに?」
「はーはー」
「甲羅が重てえんでねえかに? こったら無茶するだから、人間は寿命が短えだに。おー、やっぱりここに落としてあっただに。ほれ見なせえ。これが煙管義兼だに。おらには生涯てめえという、強え味方があっただに。さて、一服するかに。おめえさん、火を貸してくれんかに?」
「はーはー。一服してるひまなんてねえんだよ。見ねえ。カラスがカアカア鳴いてねぐらへ帰ってくじゃねえか」
「知りあいかに?」
「赤の他人だよ! そいじゃ、ほら火ぃ付けるからよ。大至急やってくんな」
「煙草なんぞは、大至急呑むもんでねえだに。せわしねえ人だに。おめえさん、なに身をもんでるだに? 尻の穴へ蚤でも入ったかに?」
「じれってえんだよ! 何でそう線香みてえな細っこい煙出してんだよ。もっと勢いよく吸えねえのかよ、勢いよくよ」
「亀は鼻の穴が小せえだで」
「口から出しゃあいいだろ」
「ガメラじゃねえだに。まあ、そったら急ぐんならしかたねえだに。煙草呑み呑み行くだから、おらの背中に乗りなせえ」
「またあの道中をやんのかよ。今からおめえの背中に乗ってたんじゃ、夜中になっちまわあ。見ろ、うすっ暗くなってきたじゃねえか。お天道さまのあるうちに宿に入りてえんだよ」
「大丈夫だに。一晩歩いて、あしたの日のあるうちには着けるだに」
「今日だよ! こんにち! ほんじつ! ちきしょう、こんな問答してるひまはねえや。ほら、またおいらが担ぐからよ。いいか? 乗ったか? つかまってろよ。おらおらおらおら。どうでえ、景色が飛ぶようじゃねえか。振り落とされんなよ。おらおらおらおら」
あっという間に宿が見えてきました。
「おめえさん。ちょっくら聞くだがに」
「はーはー。なんでえ」
「おめえさん、何でおらを背負ってるだに?」
「なにおぅ。おめえの歩みがのろくて宿に着けねえから、おいらが背負ってんじゃねえか」
「そこんとこがわからねえだに」
「何がわからねえんだよ?」
「おらは宿には何の用事もねえだに」
「なんだとぉ」
「おめえさん一人が宿へ行けばいいだけの話で、なにもおらを担いで行くこたぁねえだに」
「何でそいつを早く言わねえんだよ!」
「おめえさんがいきなりおらを引っ担いで駆けだしただに。間に合わねえだに」
「走り出してからでも言えただろうがよ」
「おめえさんが走り出してからは、おら煙草呑んでたで。 また戻るかに?」
「冗談じゃねえ。このまんま乗りこむぜ」
そのころ、置いてけぼりを食わした方の二人連れでございます。
「弥七の野郎、追いついてこねえな。鼻ぁ曲げて帰っちまったんじゃねえか?」
「そこまで根に持ちゃしねえだろうよ」
「それにしても宿へ着いちまったぜ。どうするよ?」
「そうさなあ。………。おい、なんか後ろが騒がしくねえか?」
「すげえ土ぼこりだ。人がみんな脇ぃよけてるぜ」
「暴れ馬か?」
「………! 弥七の野郎だ。ものすげえ勢いで走ってきやがる」
「ありゃあ、そうとう怒ってるぜ」
「脇ぃよけろ」
弥七も二人を見つけましたが、なにしろ大亀を背負っておりますから急には止まれません。
「通りすぎてったぜ」
「せ、背中! やつの背中見ねえ」
「何だ、ありゃあ」
「か、河童だ。甲羅しょってやがる」
「違ぇねえ。あの野郎、人間の振りぃしやがって、正体は河童だったか」
「や、戻ってきやがった」
「やいやいやいやい。やい、てめえら。よくも置いてけぼりを食わしゃがったな。おかげで、おいらぁとんでもねえ災難にあっちまったぜ」
「まあ、そう怒るな。おめえも河童なら、水に流せよ」
◇物産コーナーはこちらです◇
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